(Hine's 兄さん) 徒然雑記

不定期更新ですが、徒然に思うコトを書きとめてみる

「差別的」を考えてみる

あの立憲民主党が、性的マイノリティー(LGBT)と呼ばれる人達の
人権保護強化のため、行政機関や企業に差別的な扱いを禁じる法案をまとめた。
というコトで、報道されていました。(彼らなら、ヤりそうですね)


LGBTというのは、
Lesbian(レズビアン・女性同性愛者)、
Gay(ゲイ・男性同性愛者)、
Bisexual(バイセクシュアル・両性愛者)、
Transgender(トランスジェンダー・性別越境者)


それらの頭文字を組み合わせた表現。


もともと日本では、古代より同性愛に対しては寛容な国で、
その背景には、神道、仏教、儒教、イスラム圏のように法的にも、
同性愛が明確に禁止されてはいなかった。
しかも大々的な同性愛者の迫害や差別、逮捕の歴史はない。
(一般的ではないと云うだけで個人的に、忌み嫌われた というコトはあると思う)
(理解されないほど、悲しいモノは無い)


そもそも国民に差別感情が芽生えたのは、
同性愛を嫌悪する西洋式の考え方が輸入されてからで、
それが先進的と、当時では考えられていたから。


立憲民主党のいう法案の「LGBTの人権保護」「差別解消」という言葉は、
耳障りの良い言葉に感じるかもしれない。
ところが、法案化することで「LGBTは本来、差別されてもおかしくない存在」
という認識を逆に植え付けたりはしないか?
また、それらを利用して、アメリカのように、トランスジェンダーを装った
性犯罪者の増加を生むのではないか。
結局は、法に触れない「差別」を増長するコトとにはならないか。


もちろん、LGBT当事者に対し、差別や迫害をすることは許されない。
「法案化」すると云うよりも「個性を理解する教育問題」ではないのか。
誰もが「普通に暮らす」コトを求めているハズ、それは少数派も多数派も同じ。
少数派の過剰な保護によって、少数派に対する差別感情を
煽ってしまっては本末転倒で、またそれらが多数派の縛りになっても良くない。


お互いを理解し、助け合って暮らせる社会を実現するのが政治の仕事。
誰も「特別扱いしてほしい」とは思っていないし、社会の中で普通に暮らしたい。
LGBTに限らず、全ての国民がそうだと思う。
「人権重視」というのであれば、国民にとって本当に必要な政策は何か、
という本質を考えるべきだと思う。


で、差別と云えば、「移民受入やむなし」というレトリック。
実は差別主義的なのではないかと思ってしまう。
「移民反対とかいうが、日本の若者は3K仕事をしなくなった、それをどう補うのか」
ってヤツです。


感覚的に、例えば・・・
「土木、建設、造船、運送といった仕事はきつく、汚く、危険だから」
という、特定職業に対する蔑視感があるのではないかと思ってしまう。
道路を使わない人はいない、 住宅が存在しない世界では基本的に暮らせない。 
船を造らなければ、日本に資源を運べない、等など・・・
我々がそれなりに豊かで快適な暮らしが実現しているのは、
いわゆる「3K」と呼ばれる仕事に就いてくれている、「同じ国民」のおかげです。
で、「3K仕事は、外国人にしてもらえばよい」と、外国人活用を見下す感じ。
これらで「移民受入やむなし」となるのはチョッと残念でならない。


そんなつもりはないと云うのかも知れないが、
本来、3Kといわれる仕事であっても、生産性を高め、
「K」ではない状態にするコトは可能であると思う。
そもそも、生産性向上の努力をせず、給料が安いままに据え置かれた状況で
「人手不足」であると結論付けるコトがオカシい。
生産性向上のために「予算」を使うこコトが、日本の政治には必要で、
財務省主導の緊縮思考では、3K仕事は良くならない。
コレは移民の人達にとっても失礼な話しではないのか。


日本が外国人活用を成功させるためには、
「単なる労働力として補充する」という移民的なイメージではなく、
「新たな日本人としてスカウトし、育てる」くらいの覚悟や考え方が、

必要なのではないのかと思う。