(Hine's 兄さん) 徒然雑記

不定期更新ですが、徒然に思うコトを書きとめてみる

昭和の反作用「平成」

新元号の公布まで、ひと月を切りましたが、
発表当日はいろいろな所で、かなり話題になっていました。
ツイッターの反応を各新聞社が取り上げるなどしていましたが、
全体的に「かっこいい」「響きがよい」などの肯定的なツィート投稿が
多かったように思います。
社会のさまざまなニュースを素早く知れるという利便性や、
有名人や友達が、なにを伝えているかなど、フェイスブックや
ツイッターなどのSNSは、平成時代後半で急速に広がりました。
と、同時に、匿名性による誹謗中傷の被害という問題も出てしまいます。


まぁ、匿名による誹謗中傷の問題は、戦後教育しか知らない、
日本人の道徳水準の低下に起因するところが大きいかと思われます。
大戦に敗れ、GHQの指導する教育下に置かれた「戦後昭和」
未だにその呪縛を乗り越えるコトさえ拒否するかのような現状。
このような、戦後世代の倫理観や道徳の欠如は、全国的な問題となっている
いじめ事件や子どもを巻き込んだ犯罪などを見ても明らか。
SNSは、ネットがないコトで「明るみに出なかった被害」を表面化させただけ。


そもそも、イチイチ、ここで事例をあげることもなく、お分かりかと思うが、
国や地域を代表すべき政治家が、一般の社会人レベルの倫理観すら
持てていない事実に驚愕する。
本来、政治は政(まつりごと)で、神事であり、神聖なモノでるハズ。
そもそも政治とは、「政(まつりごと)」と呼ばれるように、
天照大神(あまてらすおおみかみ)以降、古代の日本では「神事」であり、
神聖なモノで、政治の出発点であり、宗教行事そのモノ。
政治家という職業で金儲けをしようとか、
オヤジが政治家だったからといった次元の話しではない。
そんなコトは間違っても、学校や塾なんかでは教えてくれない。


もうひとつは、「資本主義の精神と企業家精神がポピュリズムに侵された」
というのが平成の30年。
例えば、戦後の教育から続く、日本の歴史の教科書を見ると、歴史上の偉人として、
空海や源頼朝、伊藤博文などが出てきます、たしかに立派な方々です。
ところが、経済界をけん引した人、おカネを儲けた人は、偉人とし出てこない。
日本には、岩崎弥太郎や安田善次郎もいます、紀伊國屋文左衛門や二宮尊徳もいます。
たくさんの方々が、日本の富を生んできましたが、こうした方々を小中の教育では
教えませんし、教えたとしても、「財閥で当時の政府と結託した」等という
誤解を招くような表現になります。
その点、アメリカなどでは、「ワシントンやリンカーン、エジソンやプレスリーも
立派であり、カーネギーやロックフェラーも偉人であった」
と教えます。


日本人は、「清貧の思想」が好きなのかも知れませんが、
そもそも、それは日教組の考えの中にある共産主義的な平等から
来るものではないかと思う、平等を保とうとすれば底辺付近に合わせるしかない。
なので、教育と国民の意識を変えない限り、いくら日銀がゼロ金利政策を取っても、
政府が財政出動してもムダなのではないか?
政治家にしろ、官僚にしろ、結局はその「戦後昭和の教育」のなかにる人達。


日本人の愛国心や善悪を判断する力を取り戻すためにも、
戦後教育の見直しは必要であると思うし、いじめ問題や、SNS上で起きる被害を防ぎ、
倫理観や道徳を持つ日本人が育つのではないかと思う。


平成においてバブルが崩壊した理由は、政府にも日銀にも民間にも、
日本を繁栄させる長期的なビジョンがなかったから。
経営学者のピーター・ドラッカーが指摘したように、
「利益は発展のためのコスト」ですから、利益を将来の成長のために、
使えるビジョンを持っていれば、日本はもっと成長できたハズです。
ところが、その成長を止めたのが、中央銀行の政策で、
公定歩合を5回も上げるという無茶なことをやりました。
政府は政府で、宮澤内閣が「土地を買うなら、融資しない」という
土地の総量規制を行いました。
それどころか、地価税といって、固定資産税とは別に土地に税金をかける。
つまり、日本銀行も政府も、「どうやったら経済が止まるか」
という問いの答えに、100点を目指して一生懸命にやったワケです。


当時、マスコミを中心に、「バブルはいけない」という左翼的な雰囲気がつくられて、
節操と信念のない政府と日銀が "波長同通" し、
バブル潰しを行ったようにしか映りません。
当時の日本経済はバブルではなく「資本主義の精神が分かっている人がいなかった」
という結果でしかない。
要するに、この平成30年の特徴は「人材がいなかった」コトです。
「仕事をつくり出す人が偉人」であるのは、決して間違ってはいない。
政治も教育も経済も、そして民度も、
すべては「戦後昭和の教育」から始まった反作用ではないのか。