(Hine's 兄さん) 徒然雑記

不定期更新ですが、徒然に思うコトを書きとめてみる

「両班精神」というもの

まずは、この記事。
ほんこん、正解!

と、いってやりたいが、コレって何度も話しつくされてるコトで、
今更感も満載してます。
これより突っ込んだ話はTVでは出てきませんというか、出せません。
そういう意味で、TVでの議論の限界はこのあたりか。


ま、限界を設けているには、なにか旨味があるからか、どうかは、
わからんが、とにかく何度も同じことの繰り返しで、一向に先には進まん。
昔からいわれるているように「約束を守らない」とか「息するたびに嘘を吐く」とか、
それらが日本で「常識として定着」されていないからかも知れない。
というか、ネガティブキャンペーンをする必要はないが、
もう、そろそろそのあたりのコトは、日本人なら理解の及ぶ範囲にしておきたい。


全ての半島人が、そうであるとはいわんが、
すくなくとも。権威・権力を持つほど酷くなる、という傾向はある。
もうこれは「両班」にでもなったつもりなのかも知れない。


さて、事実上、朝鮮半島の身分制度は甲午改革後に廃止された。
甲午改革とは、1894年(甲午の年)から96年にかけての朝鮮の内政改革。
日本の干渉によって成立した金弘集政権の下で、国政事務と宮中事務の分離、
科挙の廃止、銀本位制の採用、身分差別の撤廃などの改革が行われた。
(では、何故、干渉したのかが気になるが、それはまた次の機会にしたい)


ま、その身分制度は廃止されたものの、韓国社会は直ぐには受け入れられず、
現在も尚、階級差別・地域差別の意識が根強く残り、 偏見は収まっていない。
「賤民」の家系というだけで、結婚・就職の障害になっているのは事実です。


「両班」というものは、李氏朝鮮王朝時代において、良民(両班、中人、常人)
賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級の最上位に位置した貴族階級に相当する。
現在の韓国においても李氏朝鮮の両班のように志操の高い精神構造を両班精神、
両班意識などと呼んだりする。


高麗時代に「両班」が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指す言葉であったが、
時代が下るにつれ両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の
相当多数が戸籍上両班となっていた。


で、その「両班」なのだが、
マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より引用すると・・・


「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」
「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。

大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。
その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、
両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、
両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。
両班のなかでもっとも正直な人たちも、
多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、
それに欺かれる者は誰もいない。
なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、

もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。
彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、
彼は一族全体を扶養する義務を負う。
もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、
自ら金銭を得るために様々な手段を使う。
ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、
彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、
徴税官は、金庫には金が無いと主張する。」
「すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、

ついには要求の金額をもぎとる。
のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。
官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、
また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」


と、説明されている、現在もこれらは健在ではないか?
自らは働かず、ユスリ・タカリの傲慢さ、それを高貴とみなす意識。
民族としての歴史が、発達段階を辿っていないため、近代思考は望めない。
責任という概念が育たず、近代的な契約の概念は絶望的。
この「両班精神」が息づいいている限り、反日教育は止まらない。


とにかく、朝鮮半島については「けしから~ん!」ではなく、
日本がどのようになれば、「今更感のない議論」をしなくて済むのかを
考えないと、
この「ユスリ・タカリ、を高貴とみなす意識」
いつまでも続くでしょう。